東亜石油株式会社

100th
Anniversary

Conversation

特別対談

東亜石油株式会社
代表取締役社長

大嶋誠司

川崎市長
福田紀彦氏

東亜石油株式会社 代表取締役社長

大嶋誠司
Seiji Oshima

川崎市長

福田紀彦
Norihiko Fukuda

臨海部の発展を共に歩んだ川崎市と東亜石油
変革の時代に目指すべき未来は――。

脱炭素社会へと大きく変化していく時代の中で、エネルギー会社として100年の歴史を刻んできた当社は、未来をどのように歩むのか――。
それは、時を同じくして誕生し、川崎臨海部の発展を行政の面から支えてきた川崎市とも共有する課題である。
第18代川崎市長として市政をけん引する福田紀彦氏と、当社代表取締役社長大嶋誠司とのトップ対談が実現。
当社と川崎市の、過去、現在、そして未来の姿を追った。

(2023年11月13日実施)

行政の支援を受けてこそ
発展した川崎臨海部の歴史がある

大嶋 本日は100周年記念サイトの特別対談に、福田川崎市長をお招きしました。2024年は川崎市も市政100周年であり、当社と同様に歴史の節目を迎えられることにとてもご縁を感じまして、本日の対談を企画いたしました。
福田 川崎市の誕生と東亜石油の創立が同じ年で、共に川崎の地で発展してきたということは非常に感慨深いです。このタイミングで行政の長としてお声掛けいただいたことを大変光栄に思っています。
大嶋 まずは、川崎市と当社の歴史を重ね合わせながら、お話をさせていただきたいと思います。川崎市の100年を少し振り返って教えていただけますか。
福田 はい。川崎市は、1924年(大正13年)に現在の川崎区と幸区の一部にあたる2町1村が合併して誕生しました。それ以前から、大正から昭和初期にかけて実業家の浅野総一郎氏がこの地域で大規模な埋め立て工事を行っていたところに、初代川崎市長の石井泰助氏が工場を誘致した政策が発展の始まりでした。こうして臨海部を中心に工業が栄え、働く人たちが集まり、市域を南部から北部へと拡大していきました。臨海部が、常に川崎の発展の礎、そして、日本の成長に貢献してきたのです。
大嶋 そのような時代を経て、産業や暮らしが変わっていく中で、私たち企業は、企業市民として、どのように川崎の地域の方々とWin-Winの関係を創っていくかを模索しています。福田市長は令和5年度の施政方針で『最幸のまち かわさき』をめざすと掲げられましたが、実現するためには何が必要だとお考えですか。
福田 人と人、企業と企業など様々な主体同士の「つながり」が、幸福やイノベーションの鍵だと思っています。川崎市は発足時には人口4万8千人でしたが、現在は154万人と30倍以上の規模になりました。当然、川崎育ちの方ばかりではなく、全国各地、海外も含めて人が集まってきています。川崎はとても受容性が高い街で、そこから新しいつながり、発見、進化が生まれて、今の川崎が創られています。この多様性のつながりというものが、これからも川崎が持続可能、発展可能な社会となっていく鍵になるでしょう。臨海部の発展を見ても、企業の連携が非常に強い、企業間がウェットな関係にあると皆さんおっしゃいますが、このつながりも川崎の強みだと思います。
大嶋 これは臨海部の歴史が古いということもありますが、背景には川崎市としての応援、結びつきを強化するアクションがあることもとても大きいと感じています。
 また川崎市が現在、「特別市」を目指されていることにも、企業として関心を持っています。
福田 特別市は、政令指定都市が県の区域を外れて、市域における県の仕事を全て担い、権限と財源を市に一本化する制度です。法人が収益を上げて収めた税金を、自治体は企業へのインフラ投資などで還元していく、収益の再投資という循環を通じて地域の発展につなげていきます。「ここに立地してよかった」と言われるような政策を企業と共に考え、循環を生み出していく新たな自治体の仕組みを創り出していかないといけないと認識しています。

社会貢献を通じた市民との結びつきが
川崎臨海部への関心の高まりにもつながる

大嶋 福田市長と川崎市が発信されているメッセージの中には、我々の事業にも通じるものがいくつかあります。文化・芸術・観光等の振興を掲げられていますが、我々も、工場夜景、見学者の受け入れ、「川崎臨海部しごとスタイルプログラム」などを通じて、川崎市民の方々と結びつき、これからも社会貢献をしていきたいと考えています。
福田 まず、御社には、市民の皆様の見学や市内の高校生が臨海部企業を学ぶ事業である「しごとスタイルプログラム」などにご協力いただいていることにお礼を申し上げます。特に、若い人たちにものづくりの素晴らしさを伝えていただいていることは大変ありがたいです。私も小学校時代の社会科見学で川崎臨海部にある工場を見学しましたが、僕たちの街を支え、日本を支えている工場が、僕たちの街にあるという誇りを感じたことを強烈に覚えています。それは今の子どもたちも変わりません。私たちの街にはこの様なものがあって、どの様な人が携わって自分たちの暮らしを支えているのかということは、学校の授業だけではなかなか伝わらないものです。
大嶋 私たちも、地元の方々の生活や社会への応援を心がけております。企業・市民・行政の垣根を越えた「オール川崎市」で、今後も活力のある、魅力あふれる力強い街づくりをしていく、そのための企業としての役割を果たしていきたいと考えています。
福田 川崎臨海部の、特に御社をはじめとするエネルギー産業の皆様は、ここが私たちの生活の源なんだ、という部分のカッコ良さ、大事さを広く伝えていければよいのではないかと考えています。御社にとっては、憧れを持った子どもたちが将来の従業員になるかもしれない。また御社や臨海部の企業に優秀な人材が就業されるかどうかは、市にとっても死活問題なわけです。まさに私たちは運命共同体で、これからもぜひ、こうした連携をより強めさせていただきたいです。

脱炭素社会に向かう時代に
企業と行政の更なる連携こそが不可欠

大嶋 川崎市は、この2024年を次の100年に向けて「新しい川崎」を生み出していくためのスタートラインとされています。当社も100周年を迎えるわけですが、それはけっして記念の年だけではない。次の100年に向けて、これまでを振り返り、何を承継し、何に挑戦していくか――。その中で、脱炭素社会に向けたビジネスは大きなキーワードとなります。脱炭素を社会実装していくための研究、その最先端を走っているのが川崎だと思います。市では2022年3月に「川崎カーボンニュートラルコンビナート構想」を策定され、CO2フリー水素の活用等に取り組まれています。このような社会課題に対する取り組みの現状と今後の構想についてお聞かせください。
福田 はい。市の「川崎カーボンニュートラルコンビナート構想」の推進に向け、川崎カーボンニュートラルコンビナート形成推進協議会を設置し、現在では、御社も含め84社・2機関の会員を迎えた全国でも最大規模の官民合同協議会となっております。
 実は、川崎は全国20政令市の中で最も多くCO2を排出しており、また臨海部の排出量は市域の73%を占めています。ですから、川崎市のカーボンニュートラルは臨海部を抜きにして実現できません。幸いにして、川崎市を中心にして横浜・東京の臨海部では脱炭素技術を持った企業が集積しています。その技術をいかにうまく組み合わせられるか。私どもがおつなぎするなどして、すでに動き出し、ビジネスが始まっている取り組みもあります。
 こういったプラットフォームを使ってエリア全体をカーボンニュートラル化していくということが、私どもにとっては企業に選んでいただける街となることにつながります。クリーンなエネルギーがある、この川崎が生産する場所としてふさわしい、経営戦略上、重要だと企業に思っていただける地域にしていきたいと思っています。

大嶋 当社も2020年に次世代水素エネルギーチェーン技術研究組合が行った実証事業に協力し、京浜製油所内に設けられた脱水素プラントでMCH(メチルシクロヘキサン)から分離した水素を用いた発電に取り組むなど、水素サプライチェーンを構築する実証事業に参画させていただきました。
福田 このプロジェクトでは御社にもたいへん貢献いただいています。日本の場合、発電に水素を活用していくことが、カーボンニュートラルにおいて重要な取り組みです。2023年3月には、川崎臨海部が液化水素サプライチェーンの商用化実証の水素受入地に選定されました。川崎が首都圏、日本の水素サプライチェーン構想をけん引していくことを使命として、官民一体になってチームでやっていきたいですね。
大嶋 当社も「川崎カーボンニュートラルコンビナート構想」の中でどういう役割を果たしていくかを検討しています。この構想の実現においては、すでにCO2フリー水素を輸入するというフェーズは出来上がっています。次は地域でCO2フリー水素を製造する、供給する、フェーズになってくるのですが、これも一部で始められています。あとは水素をどう加工してエネルギーとして届けるかというところになるわけですが、ステップとしてはまず、臨海エリアでクリーンなエネルギーが循環し、ものづくりをしていく、というサイクルを回していくことになります。その時に必要となるのは、「貯める」と「運ぶ」です。当社は液体燃料、ガス燃料を生業としておりますので、コンビナートやパイプラインを所有しています。このアドバンテージを生かしてコストミニマムで「貯める」や「運ぶ」を実現することが、我々の果たせる役割ではないかと考えています。
福田 本当におっしゃる通りで、「造る」「貯める」「運ぶ」という流れのどれが欠けてもサプライチェーンを構築できません。同時にその需要先を開拓することも重要で、製造からエンドユーザーまで、それぞれの声を聞きながら調整していく機能というのが私どもにも求められているのだと、企業様からもそういう声をいただいています。
 需要拡大に向けては、2022年に横浜市と、2023年に東京都と大田区と、次世代エネルギーの利活用拡大に向けた連携協定を締結しました。さらに近い将来には千葉県などにも需要先を見つけていくことも大事になってきます。また、新しい取り組みですのでルールがないものも多い。そこは企業の皆様と話し合いながら、一緒に制度設計していくことも大事だと思っています。
大嶋 さらに我々の最終的なゴールとして、どうしても減らせないCO2を「活用」していく、CCU(※)を社会実装していく役割が担えないかと考えています。そのためには、今後、当社を含めたさまざまな企業が知見を結集していくことが重要だと考えています。
 その意味では、川崎市には、生命科学における日本有数の研究開発拠点である「キングスカイフロント」、さらに国内初の量子コンピュータが稼働した「新川崎・創造のもり」が大きな武器になると思います。川崎をカーボンニュートラル化していくために、社会実装難度の高いCCUや、効率化した最適操業運転など、まさに量子コンピュータの得意な分野で、各企業が共同研究していく場面に活用されるのではないかと期待しています。
福田 新川崎のエリアを私たちは量子イノベーションパークと称しておりまして、そこでいろいろな産業の人が集まり、研究者が交わることで、新たなものが生み出されていく、そんな環境を作っていきたいですね。ライフサイエンスの研究開発拠点である「キングスカイフロント」も含め、川崎にて、世界的にも最先端の研究を進めています。
大嶋 私たちが期待するものとしては、「新川崎・創造のもり」によって量子コンピュータ計算が一般化され、さらに幅広く対応できるとなれば、当社の装置の運転計算などにも活用範囲がどんどん広がっていきます。それが川崎にある、という実感が、社員の川崎への愛着や誇りにもなっていくと思います。
(※)CCU(Carbon dioxide Capture and Utilization):二酸化炭素の分離回収と有効利用

ピンチをチャンスにして発展した歴史を
若い世代にもつないでいってほしい

大嶋 さて、今後の川崎臨海部がどのように展開していくか。特に産業界の方向性を福田市長はどのようにお考えでしょうか。
福田 製造業、ものづくりはなくなることはないし、なくしてはいけないと思っています。今後は、脱炭素による新しいエネルギーのかたちを研究し、それを製造する。そしてその過程における実証実験もできます、というような、研究開発から製造までを一貫して実現できるエリアにすることが望ましいと思っています。
 また、臨海部は陸・海・空の交通網が整っています。そのことを最大限に活かすことがとても大事で、立地、インフラ、地域の特性をどう組み合わせていくかが、これからの臨海部の発展の鍵になるのではないでしょうか。

大嶋 製造業はどうしても設備や生産物などを重視してしまいますが、立地の持つ可能性を活かすことも重要だと思います。確かに重質油熱分解装置(FLG)は当社の誇りであり、自慢ですが、本当に財産になっていくのは、川崎という立地だと思います。また、これからはモノだけではなく、モノに技術や情報をプラスしていかねばならない時代です。FLGそのものではなく、世界で初めての装置を社会実装し、付加価値の高いエネルギーを生産した、その人の力が偉大なのです。次の100年に向けては、磨かれた技術こそが変わらない武器になっていくのではないかと思っています。
大嶋 しかしながら、100年前と時代環境が大きく変わってきた中で、私たちもジレンマを抱えています。新しい設備を導入していく半面、今まである設備を長持ちさせ、より安全に、効率的に使っていくことも重要です。進化を続ける一方で、基本的な安全・品質・環境の基盤を、新たなエネルギーになっても揺らがせないことが大切です。その点で、これからも川崎臨海部において変わってほしくないものはありますか。
福田 1950年代、私たちは公害問題に苦しんでいました。その中で、市としては国政に先んじて公害防止条例などのルールを策定し、企業と共に環境対策に取り組んできました。ともすれば厳しい規制の中で、各企業が素晴らしい環境技術を生み出されてきたことは歴史が証明しています。そうして世界に冠たる環境技術を培いながらプロダクトを作り出し、長期的観点で見れば、この様な取り組みを進めることで、サステナブルなコンビナートが形成されてきました。環境保護や安全など基盤となるものは、これからも大切にしていただきたい。モノづくりをしていく技術者、職人の方々のプライドはそこにあるのではないかと思っています。
大嶋 新エネルギーになっても通用する安全・品質・環境のためには、今まで守ってきたものを、新エネルギーに対応できるレベルへと、自分たちをアップデートしなければなりません。地域の方に安心して使っていただけるエネルギーを提供している会社になりえるか。今までよりも、さらに高みを目指さなければならないと考えています。
 それでは最後に、未来を担う若い世代へ伝承したいメッセージをお願いできますか。

福田 川崎の100年の歴史を見ますと、その9ヵ月前に起こった関東大震災からの復興が市政のスタートでした。それから戦争で大空襲を受けて焼け野原になりましたが、臨海部を含めて復活し、日本の高度成長期を支えました。公害問題に苦しんだ時期もありましたが、企業、市民、行政の三者で克服し、さらに成長してまいりました。経済も環境も犠牲にせず歩んできたこの歴史からは、ピンチをチャンスに換える、課題を成長に換えることを繰り返してきた、チャレンジスピリットが見えてきます。これは、御社のモットーである「永遠の挑戦者」とまったく同じもので、同じスピリットがお互いに流れているのを感じます。
 不確実な時代だからこそ、勇気を出してチャレンジしなければなりませんし、一歩踏み出すことが大事です。若い人たちも内向きにならず、川崎から、日本から世界に発信していく、良いものを作って世界に貢献する誇りを学んでいただきたいです。

大嶋 まったく同感です。今は大きく環境が変わる転換期にありますが、川崎市、東亜石油がさらに進化していく中で変わらないものは、常に挑戦し続ける、社会に実現していくということです。
 当社は求める人材の理想像として「自立」「協働」「挑戦」を掲げています。『最幸のまち かわさき』もそうですけれども、人それぞれ価値観や能力は多様であっても、それぞれの力を合わせて、ひとつの理想を目指していければと思っています。
 本日は福田市長との対談を通じて、同じ100年の歴史を持つもの同士、相通じるものがあると確信しました。今後も川崎市の期待に応えられますように、さらに川崎臨海部が進化していく中で当社としての役割に注力してまいります。
福田 同じ「挑戦者」の血が流れていることが今回の対談を通じてよくわかりました。良い機会をいただき感謝しております。
大嶋 こちらこそ、ありがとうございました。